妄念とのじゃれあい
ふと思い立つと季節が変わっている様な忙しなさに揉まれているのか?
昨晩、久しぶりに最寄り駅から徒歩で自宅まで帰宅した時に、ノスタルジアをぶち上げる匂いが鼻腔を擽った。
僕は匂いには疎い、と言うか嗅覚が鈍い(妻の嗅覚が鋭いのでギャップを感じているだけかも知れないが)。
そんな、愚鈍な五感の1つが反応している。
川のせせらぎに耳を傾けつつ、あるのか無いのか分からないほど小さく低い鼻を引くつかせる事、数分。
約30歩程歩くと目の前に小さな花らしきものをつけた小ぶりな木が眼前に出現。
金木犀だ。
子供時代は何にも感じなかったし、何なら存在するアヤフヤだった金木犀だ。
大人になるにつれ、景色や花、町行く人の嬌声にすら何かしら感ずる事が増える。
子供の時は自分の可能性と言う未来に対する漠然とした期待がマインドのメインをしめていたが、「将来」に辿り着いてしまった大人は自分よりも周辺の事柄に目を向けて、自分の今から逃避すると言う手段を知ってしまっているせいか。
美術や文学に疎く、文化的な事柄への造詣も浅い自分でも何かを美しいと感ずる事は出来るのか?と悩んだ事もあるが、金木犀の香りに郷愁(ほぼ地元に住んでるんですけどね)を感じるってのもそう言う感情に近いのかも知れない。
うん、特に日々に変化が無く淡々としているので、通勤中に思った事書いてみた。
ほげ~~~~!